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腑に落ちる漢方の話1「漢方の歴史と流派」

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漢方の歴史と流派

漢方の歴史と流派

こんにちは、ムセキです。

普段は薬剤師として働いており、たまにX(旧Twitter)にて漢方の情報を発信しています。

この度、新しくnote記事の連載を始めましたので、よろしくお願いします。

今回は、「漢方の歴史と流派」についての記事です。ご参考いただければ幸いです。

これから「漢方医学(以下、漢方)」についてお話ししていきますが、その前にお伝えしたいことがあります。

それは、「無駄と思っていることでも、きちんと認識しておくことが大事」ということです。

「漢方の歴史と流派」も、「そんなの知らなくても、漢方はできるでしょ?」と思われるかもしれません。

ですが、漢方の処方が出てきた順番を間違えると、その処方が生まれた理由や経緯を間違って覚えてしまう可能性もあります。

そうすると、正しい使い方ができなくなることもあります。そういう危険性を少しでも減らした方が良いので、漢方の歴史や流派についても認識しておくことがとても大切です。

覚えなくても、「ああ、そうだったな」と、資料を見たら思い出すくらいでOKです。

それでは、どうぞ。

何で「漢方」という名前?

まずは、「漢方」という名前の由来についてお話しします。

「漢方」とは、漢(漢民族)の方(医療の方法)という意味です。漢民族というのは、古代・中世の中国の人々のことです。

この言葉が生まれたのは江戸時代。長崎の出島から日本全国に広まった「蘭方医学(以下、蘭方)」と区別するためです。

蘭方医学というのは、「オランダ由来の医学」という意味になります。現代で言う西洋医学と思っていただければ良いです。

ちょっとビックリするのは、蘭方が入ってくる前の日本は漢方医学や民間医療しかなかったので、「漢方」という表現自体がなかったことです。

つまり、「漢方」という言葉が生まれたのは、西洋医学が入ってきたことが原因です。何とも面白いですね。

漢方の歴史と流派

漢方を理解するには、その歴史を押さえる必要があります。簡単に、漢方の変遷をお話しします。

室町時代

元々、日本では古来より漢方医学や民間医療が行われてきましたが、室町時代に田代三喜(たしろさんき)先生というお坊さんが中国に留学し、陰陽五行説(いんようごぎょうせつ)を使って処方を決めていく金元医学(きんげんいがく)を学びました。

その学んだ金元医学を日本に輸入し、弟子に紹介したことで、江戸時代の漢方医学隆盛につながっていきます。

ちなみに、田代三喜先生から受け継がれた金元医学は、後に「後世方(ごせいほう)」と言われるようになります。

先なのに、「後世方」というのは面白いですね。

江戸時代初期

安土桃山時代を経て、江戸時代初期には後世方が隆盛していきます。

また、色々と日本独自の研究が行われ、漢方関連書籍も発刊・流通するようになります。

しかし、天下泰平の世になりますと、生活習慣や考え方が変わっていきます。

具体的には、リスクを取ろうとする姿勢がなくなり、毒取りの処方が少なくなって、気力体力をつける処方が多くなります。

また、栄養状態が改善していき、逆に毒が溜まりやすくなります。

そうしますと、どうなるでしょうか。

合う漢方の傾向が変わり、「漢方が効かない!」と言われるようになります。

そこで台頭してきたのが、漢方古典の「傷寒論(しょうかんろん)」「金匱要略(きんきようりゃく)」を基礎とする「古方(こほう)」と呼ばれる漢方の流派になります。

江戸時代初期後半~江戸時代中期

江戸時代初期後半に出てきた古方の漢方は、理論偏重の後世方を否定し、実証主義(使ってみて効くかどうか判断する考え方)かつ、シンプルな構成の処方による毒取りを得意としています。

江戸の平和な時代の体質や生活習慣に合ったのでしょう。一気に古方の漢方は全国に広がっていきます。

また、徳川吉宗、家重の時代には、吉益東洞(よしますとうどう)先生が「万病一毒論(まんびょういちどくろん)」を唱え、非常に過激な処方を使用していきます。

また、それ故に高い評判を得るようになります。

万病一毒論とは、「万病は一つの毒で起こる」という、現代では過激な考え方です。

ですが、漢方医学は毒の細かい種類を特定せずに排出することができるという側面もありますので、当時は結果として問題が少なかったものと思います。

また、理論に重きを置かなかったため、理論に沿っていては思い浮かばない処方が数多く生まれました。

江戸時代中期~後期

江戸時代の中期~後期にかけては、漢方の隆盛は江戸時代最高となりました。

この時期の特徴としては、後世方と古方の漢方を融合させた折衷派(せっちゅうは)と呼ばれる漢方流派や、蘭方と古方漢方を融合させた漢蘭折衷派(かんらんせっちゅうは)があります。

折衷派の代表としては、幕末の浅田宗伯先生(あさだそうはく)が挙げられ、漢蘭折衷派の代表としては華岡青洲(はなおかせいしゅう)先生が挙げられます。

面白いのは、蘭方と合わさったのが古方というところです。

華岡青洲先生が吉益東洞先生の流れをくむというのが大きいのですが、当時、蘭方は外科治療が主でしたので、毒取りに長けた古方と相性が良かったのかもしれません。

明治時代~昭和中期

明治時代になると、政府が西洋医学を採用したため、漢方は弾圧されるようになりました。

しかし、命脈を保つため頑張った志のある病院や薬局のお陰で、絶えることはありませんでした。

また、開国による影響で、江戸時代に研究された漢方資料や書籍等が清(当時の中国)に流れました。これが、後の中医学の発展に寄与することになります。

そんな中で現れたのが、「一貫堂医学(いっかんどういがく)」や「昭和漢方」です。

一貫堂医学は森道伯(もりどうはく)先生が始められた漢方の流派で、後世方を主体とした漢方処方を使って治療されました。

特徴的なのは、人の体質をそれぞれ「臓毒証(ぞうどくしょう)体質」「瘀血証(おけつしょう)体質」「解毒証(げどくしょう)体質」という3つに分けて治療されたところです。

この治療方法は、後の漢方医学界にも大きな影響を与えました。

もう一方の「昭和漢方」ですが、これは主に薬局で行われていた漢方の使い方になります。

簡単に説明しますと、人の体格を見て、「実証体質」「虚証体質」に分けて使う治療法です。

これは見た目や聞き取りで判断する方法ですが、大雑把な印象があります。

昭和中期~後期

昭和中期から後期にかけて、中国では毛沢東の号令により、政府主導で中国国内で行われていた医学の整理と西洋医学との統合が行われました。

これが今日の「中医学(ちゅういがく)」の基礎になります。

中医学の特徴は、陰陽五行説を中心とした診療に加えて、西洋医学の影響を受けているところです。

江戸時代後期の漢蘭折衷派に似ていますが、古方ではなく後世方の考え方に似ているのと、外科治療に限らず西洋医学全般の影響を受けているのが特徴です。

日本においては、古方は大塚敬節(おおつかよしのり)先生、後世方は森道伯先生の流れを受け継ぐ矢数道明(やかずどうめい)先生、山本巌(やまもといわお)先生、折衷派は浅田宗伯先生の流れを受け継ぐ細野史郎(ほそのしろう)先生が活躍しました。

また、漢方エキス製剤が開発され、漢方薬の普及が進みました。

昭和後期になると漢方製剤が保険適用となり、これにより医師も保険で漢方製剤を使って診療することができるようになりました。

平成~現在

平成から令和にかけて、中医学が日本で広まり、日本で元々行われていた漢方医学のことをまとめて「日本漢方」と呼ぶようになりました。

また、登録販売者制度ができたことにより、漢方の裾野はさらに広がりました。

現在では、漢方は様々な流派に分かれ、それぞれがそれぞれの方法で治療を行っています。

「日本漢方」について

ここで、少し「日本漢方」という呼び方についてお話しします。

私は、実は「日本漢方」という言い方は使用しません。

既にお話しした通り、元々「漢方」という名称は日本で生まれたものです。ですので、「日本漢方」という言い方には頭の中に?マークが浮かびます。

中医学は中医学であって、「中国漢方」という言い方はしませんし、中々上手い言い方はないものです。

他にも、「漢字」は日本の呼び方であって、中国ではそう呼ばれていません。中国国内では「汉字(ハンズー)」と呼ばれています。それと同じだと考えると納得がいかれるのではないでしょうか。

また、全てではないと思いますが、中医学を学ばれた方の中には、日本で伝統的に行われてきた漢方を下に見る方も見えるようです。その理由は「理論的ではない」ということだそうです。

逆に、中医学ではない漢方家の方の中には、そのような見方に反発されている方もお見えと聞きます。

漢方は病気の人を治すものであって、各流派間で争っている場合ではないと思います。

しかも、目の前の病態に最も合う漢方は基本的に一つしかありません。それぞれの流派がそれぞれを認めて、治療していけば良いのではないでしょうか。

まとめ

今回の内容をまとめます。

「漢方」という名前の語源

「漢方」という名前の語源は、江戸時代に長崎から入って全国に広まった「蘭方(西洋医学)」との区別のためにできたものです。

後世方について

後世方とは、主に陰陽五行説を使用して診療を行う「金元医学」という、当時の中国から伝来した漢方医学のことです。

古方について

後世方の理論を否定して、実証主義(実際に使って判断する考え方)に基づいて行う漢方医学です。漢方古典の傷寒論、金匱要略を主に使用し、体内の毒を出すことに重きを置いています。

漢蘭折衷派について

古方と蘭方をどちらも使用する流派です。

折衷派について

後世方と古方をどちらも使用する流派です。

一貫堂医学について

森道伯先生が始められた後世方の一派です。主に体質を3つに分けて治療を行いました。

昭和漢方について

昭和時代に現れた、見た目で「実証」「虚証」という風に、大雑把な体質を判断して漢方治療を行う方法です。

中医学について

昭和中期に中国政府主導で作られた、中国伝統医学と西洋医学を融合させた治療を行う方法です。

日本漢方について

中医学に対し、日本で行われてきた漢方治療全般を称する呼び方です。

さいごに

今後も、緩やかに投稿していきたいと思います。よろしくどうぞ。

それでは、ムセキでした。

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