こんにちは。今日は、「初心忘るべからず」という諺について、記事を書きたいと思います。
有名な諺で、誰でもご存じなのですが、意外と、その意味については深く考察されていないのではないでしょうか。
「始めた時の気持ちを忘れては駄目だって事ですよね。」
「慢心しては駄目って事でしたっけ。」
当たり前の事というのは、実は一番見逃されがちですが、よくよく考えてみますと、物事の本質を突いている事が多々あります。
今回は、漢方の陰陽五行説、老子道徳経を使いながら、何故この諺が漢方の真髄なのか書いていきます。
スポンサーリンク
世阿弥の「花鏡」という伝書が出典
元々、この諺は能で有名な世阿弥の書いた「花鏡」という伝書が出典です。この諺を世阿弥は「万能一徳の効あり」と言っています。しかし、その理由については書かれていません。
ですので、何故「万能一徳の効」なのか、私たち後世の人間にはよく解らないままになっています。
スティーブ・ジョブズの愛読書
話は変わりますが、アップル創業者のスティーブ・ジョブズは仏教の禅に傾倒していたという話はご存じかと思います。
そのジョブズの愛読書として知られている本があります。
「禅マインド ビギナーズ・マインド」というアメリカで出版された本ですが、著者は鈴木俊隆という日本の方です(非常に良い本なので、機会があれば是非ご一読頂ければと思います)。
この本の最初には「初心」と書かれた書の写真が載っています。
「禅」「仏」「大いなる心」「空」について、多角的に書かれた本ですが、結局、禅の目指すところは「初心」である、と書かれています。
ちなみに、マインドフルネスという言葉もこの本に書かれていますので、現代の「マインドフルネス」の流行は恐らくこの本が元々になっていると思われます。
道
おぼろげながら、初心の正体について見えてきました。
次は黄帝内経素問に出てくる「道を身につけ」という言葉を考えてみます。素問にある通り、漢方の真髄は「道」とされています。
道というモノが初めて出てきたのは老子道徳経ですが、その中には「道というものは言葉では言い表せないもの。」と記載されています。
しかし、その「言葉では言い表せないものをあえて説明してみます。」とも書かれており、道の振る舞いや例えについて、多角的に論じられています。
上善如水①
前の見出しの続きです。その老子道徳経には、「上善は水の如し。」という言葉が出てきます。その後の説明で、「水は善く万物を利して争わず、衆人の悪む所に処る。」となっております。
「水は何に対しても恵みをもたらして争わないが、普通の人は嫌がる所に行く。」という訳になりますが、このままでは後半部分がよく解りません。
上善如水②
実は、後半部分を理解するには、陰陽五行説を使う必要があります。陰陽五行説で「水」は北、冬を意味します。
冬は太陽の一年の終わりと始まりである冬至の季節であり、また、季節の鬼門に位置する大寒(1月終わり)の季節でもあります。
その部分に関連して、「水」は「全ての終わりと始まり」を意味するとされています。
「衆人の悪む所」というのは、全ての終わりと始まりである根底、物事の底辺に居るという事になります。
ちなみに「如水」というのは、戦国時代の天才軍師・黒田官兵衛が出家して改名した名でもあります。
「初心忘るべからず」の本当の意味
以上の考察で、「初心忘るべからず」の本当の意味が明らかになりました。
つまり、漢方の真髄である「道を身につけ」という事は「初心忘るべからず」と同義であり、「初心」というのは「上善如水」と同義という事になります。何であれ、どういう状態状況であれ、何時も「今が始まりである。」と思い、素直で謙虚な気持ちでいるという事は、確かに「万能一徳の効あり。」と言えそうです。中々難しい事ですが、謙虚な気持ちを持って、毎日を過ごしたいものです。
お読み頂きありがとうございます。
以上です。少しでも参考になれば幸いです。以下より、他の漢方記事が検索できますので、宜しければご活用下さい。
目次
続きを見る